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松本聖十字教会で働いている金善姫の色々


by yoihime

本から学ぶ松本聖十字教会の歴史

日本聖公会中部教区歴史編纂委員会編『教区のあゆみ』、日本聖公会中部教区事務所、1962.10.20

明治27年(1894)には南信(南信農)地方に伝道が開始され、先ず長野県東筑摩郡松本町69町に、覚前政蔵執事によって、所属信徒5名の講義所ができ、翌明治28年(1895)には同町土井尻に移り、F・W・ケネディ司祭もその働きに参加したが、此の松本講義所は翌29年(1896年)には同町田町に移転し野元田多師にも新たにその働きに加わり、翌明治30年(1897)には同町蟻ヶ崎にも、パタソン女史、億川八郎、市村ヒデの諸師によって聖マリア伝道館が開かれ、講義所には野元田多師に変り太田今朝吉伝道師勤務、翌31年(1898)には講義所は、同町大名町に移転、信徒は29名、太田伝道師転出して、億川八郎伝道師と野元田多師がケネディ司祭を助けて働いた。これが松本聖十字教会の始まりである。(pp.28~29)

大正10年(1911)には、神癒伝道のヒクソン師が来日、中部地方の各地に於て癒しを行ない同時に福音を伝えた。当時の様子を、残っている記録について松本聖十字教会及び高田聖公会(今の降臨教会)ものもで見ると
松本 神癒伝道者ヒクソン氏を松本に迎へたのは9月5日で、1日に晩祷、朝祷会をひらき、4日朝夕の礼拝に、神癒に関する牧師の説教があって、信者、伝道者及び其の友人に案内状をだして準備を行なった。
ヒクソン師は3日晩来着、4日は休養、午後河合夫人を病床に見舞ひ、どうかして之れを救はんとして居給ふ、全き救は魂と肉体の両方に及ぶものである。キリストは在世中凡ての病者を癒し又教会に癒しの仕事を継承せしめ給ふた。そしてキリストは今も現在して癒し給ふ」と述べられて後癒しの按手祈祷をなし、曽我(捨次郎)司祭、河合司祭交々按手して教会の祝福を与へた。来会者140名、按手を求めし人86名、遠く木曽や大町からも来られ、他教派からも来て頗る盛会。後から聴けば恵みを受け癒しを得た人もあっと由(p.66)

松本聖十字教会 明治27年開設(pp.74~76)
日本アルプス ウォルター・ウエストン

教会自給(pp.98~99)
by yoihime | 2010-03-27 17:47 | 教会の歴史