松本聖十字教会で働いている金善姫の色々


by yoihime

カテゴリ:『聖十字』( 3 )

司祭按手を受けて

司祭按手を受けて 
                                司祭 フィデス 金 善姫

四月十六日に司祭按手を受けました。
司祭按手式は渋澤一郎主教の司式と神学生の時に教会実習でお世話になった笹森田鶴司祭の説教で、主教座聖堂の名古屋聖マタイ教会で行われました。
松本聖十字教会で執事按手を受けてから一年以上の準備期間を過ごして、迎えた日には、中部教区の信徒の方々の祝福とお祈りの中、主教と司祭たちに頭に手を置かれました。
前日のリトリートは、南山研修センターで野村潔司祭の指導で行われました。マルコによる福音書14:32‐42の『ゲッセマネで祈る』イエスの姿から「腹をくくる」という講話とルカ福音書9:28‐36の『イエスの姿が変わる』聖句から「ビジョンを描く」という講話をいただきました。野村司祭の司祭按手を受けてからの経験で、腹をくくる、受け入れる、決断をする、前を向く、責任を負う生き方が求められる事を黙想しました。そして、アメリカの先住民の世界観から「ネズミの視点:見通しがきかない」ではなく、北:野牛(知恵)、南:ねずみ(信頼と無垢)、西:熊(内面性)、東:鷲(物事を明瞭かつ遠くから見極める)洞察力を持って、ビジョンを描き、担う事を黙想しました。
三月十一日に起きた東日本大震災と津波の自然震災と原子力発電所の損傷という人災によって、命を失い、行方不明の方々とその家族、如意なく避難生活を過ごしている方々の大変な状況の中、行われた司祭按手でした。
これから、神に仕え、人々に仕え、神のみ言葉を学び、礼拝を通して神様と人々の和解を伝え、癒しと赦しのメッセージを宣べ告げ、人々と共に泣き、共に笑う者として、イエスの生き方に従って、弱き者の友となりたいと願っております。これからも手に手を取り合って、主と共に歩んで行きましょう。
主に感謝!イースターおめでとうございます!
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by yoihime | 2011-04-30 02:45 | 『聖十字』
 2009年の松本聖十字教会の復活祭は森主教様ご夫妻をお迎えし、イエスさまの復活を信じた会衆五十名余と心を一つにして、ともにお祝いすることができました。このことは、昨年、金善姫聖職候補生を聖十字教会に送っていただいた神様のご計画の一つが豊かにが成就したと感じることができたのは私一人ではなかったと思います。中尾司祭様が新潟聖パウロ教会に異動され、松本聖十字教会の現状を見て、歴史ある礼拝堂はいよいよ『苔むす廃屋』になるのかと覚悟しました。
 他の教会も同じ悩みを抱えておられるのではないかと思いますが、松本聖十字教会もご多分にもれず、新規の受聖餐者がここ何年も誕生しておらず、信徒数の減少、また高齢化等で教会に繋がっている方々の礼拝への参加が減少しております。金先生が来松され、初めは信徒が付いて金先生と信徒訪問をしておりましたが、先生が自動車免許を取得してからは、精力的に動いていただき、なかなか礼拝に出席できない方々を訪問していただき動向がわかってきました。信徒同士でももちろん連絡を取り合ってはいますが、聖職者がお伺いすることがどれだけ大事かを思い知らされました。
 施設の許可を得てお迎えに行ったり、誘いあってお連れしたりして、しばらく礼拝から遠ざかっておられた方々が礼拝堂に集い、一緒にイエスさまの復活の喜びをお祝いすることができました。神さまのお導きと豊かなお恵みを感謝しております。
 今年の復活礼拝では、教会に素晴しい恵みがありました。森主教様から、聖洗、按手を受けたお二人の受聖餐者を新しく迎えることができました。礼拝中もサクソフォン、クラリネットの演奏があり、荘厳のなかにも華やかな礼拝を行うことができました。
 祝会では、お二人の受聖餐者や、懐かしい方々との交歓があり、またチェロの演奏も行われ、大いに盛り上がりました。同時にご長寿の方々をお祝いすることもできました。多くの信仰の諸先輩に、直接手渡しで記念品をお渡しできたことも大きな喜びでした。
 7月20日は創立百十周年、また金先生の執事按手式も行われます。
 『苔むす廃屋の礼拝堂』から『喜びに満ちた礼拝堂』になることができ、松本聖十字教会に繋がる私たちにとって2009年のイースターは松本聖十字教会の復活祭ともなりました。
(ペテロ 住田 季代雄)
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by yoihime | 2009-07-29 18:51 | 『聖十字』
力と愛と思慮分別の霊                          

司祭 ペテロ 渋澤一郎
 
四月一日付けで松本聖十字教会の管理牧師に任命されました渋澤一郎です。これから信仰生活を共にさせていただきます。どうぞよろしくお願い申し上げます。とは言え、わたしは上田におりますのでいつも皆様と関わることができないことをお許しください。その代わり、金 善姫聖職候補生が定住しておりますので金聖職候補生を支え、育てていただき、元気な教会造りを目指してまいりましょう。
 今年の主題聖句は「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。」(テモテ 二1:7)です。わたし自身はとても元気が出る聖句だと思います。わたしの好きな聖句のひとつでもあります。かつて、植松従爾主教が「みなさんは洗礼・堅信を受け、聖霊をいただいているのだから何でも出来るのです。」とよく説教でおっしゃっておられたことを思い出します。たしかに聖霊がついていてくだされば何でもできるのです。わたしたちは聖霊の働きを過小評価してはいないでしょうか。「わたしは何も出来ないから」というのは聖霊の働きにすべてを委ねていないことなのかもしれません。わたしたちは間違いなく聖霊をいただいているのですから、うぬぼれではなく、もっと自信を持って信仰生活を送りましょう。わたしたちがいただいているのは決して「おくびょうの霊」ではないのですから。
 使徒言行録の聖霊降臨の出来事は大変劇的に描かれていますが、聖霊の働きは案外小さな、うっかりすると見逃してしまうようなものではないかと思うのです。旧約聖書の列王記上には預言者エリヤの物語があります。彼はアハブ王と王妃イゼベルから命を狙われ、命からがら荒野に逃げていきます。そして、神様に、「もう十分です。わたしの命を取ってください。」と弱音を吐くのです。 しかし、彼はその時、神様の声を聞き、再び力を得て元来た道を戻って行きます。彼を生き返らせた神様の声はどこから聞こえたかと言いますと、激しい風の中からでも、地震の中からでも、火の中からでもありませんでした。神様の声は静かなささやきとして聞こえたのでした。その静かにささやく声を聞き、エリヤは生きる力を回復したのでした。
 聖霊の働きも同じではないかと思います。聖霊は小さなしるしを通してわたしたちに語りかけ、行動を促して来るのです。その小さなしるし(声)を聞き逃さないように、見逃さないようにしなければなりません。小さな気付きを大切にし、それに気付いたら、それを勇気を持って実行に移しましょう。わたし一人の小さな行為などは教会の働きの中ではたいしたことはないのだなどとは決して思ってはなりません。神の国は、はじめは目に見えないほどの小さなからし種と同じなのです。しかし、それは成長して鳥が巣を作るほど大きくなるのです。小さな業をおろそ
かにしてはなりません。神様の力を信じましょう。
そして、愛の行為は積極的に行いましょう。聖霊は愛の霊です。愛において神様の力は最も大きく働くのです。更に、熱く、しかし、冷静な心も同時に持ちましょう。何が聖霊の導きであり、促しなのか冷静に判断しましょう。思慮分別を欠いた信仰は単なる個人的な感情にしか過ぎないことがあるからです。わたしたちみんなが力と愛と思慮分別の霊をいただいていることを大切にし、どんな小さなことでも、いや、むしろ小さなことこそ神様の働きであることを覚え、これからの教会生活、信仰生活を共に送ってまいりましょう。
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by yoihime | 2008-06-08 06:36 | 『聖十字』